[目 次] [前ページ] [次ページ] [第1部・石見神楽]
石見神楽の流れ
石見神楽は、江戸時代に行なわれていた五行思想などにもとづく儀式舞を発展させて、ストーリー性を強めた神楽で、島根県邑智郡・石見地方で創作された。 広島県へは、「阿須那系高田神楽」と言われる江の川流域を上りながら高田郡へ伝えられたものと、 「矢上系山県神楽」と言われる中国山地を越して山県郡へ伝えられたものと 二つの流れを持っている。 どちらも同じ江戸時代の終わり頃であったと言われている。 伝習の方法には、石見地方へ仕事で滞在してその間に習得したもの、 神楽習得のため郷土から派遣されたもの、 また神楽の師匠を招へいして習得したものなどがあったらしい。 習得の方法は違っても、氏神神社を基として、15名から25名の団員の神楽団が100を超える。 今でも、秋祭りには、各団が伝承している儀式舞2〜3演目と能舞10演目余りを組み合わせて夜から明け方まで奉納神楽を行っている。 最近の神楽ブームは、それぞれの神楽団の持つ18番の演目を数千人の前で披露し、5〜6名の審査員の評価を受ける競演大会がひんぱんに行われるようになったことに大きな要因がある。 この競演大会は、各町村の商工会や各種団体が主催するもので終戦間もなくから開かれているものから、近年始まったものを含め県北地域でも年間通して20回以上を数える。 この競演大会に優秀な成績を得るために、神楽団は秋祭りの頃だけでなく大会に向かって年中練習を重ね伝統の神楽の『心と技』を磨いている。 |
参考/西日本諸神楽の研究 |
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